【報告】ザンクト・オッティリエン修道院と聖グレゴリオの家(ドイツの新聞から)

東京におけるベネディクト会

(2024.01.12「ミュンヘン教会新聞」掲載)

原文(ドイツ語)はこちらからご覧いただけます。

https://www.mk-online.de/meldung/erzabtei-st-ottilien-betreut-musikinstitut-in-japan/?

聖オッティリエン大修道院が日本の「聖グレゴリオの家 宗教音楽研究所」を支援

70年前、フランシスコ会のゲレオン・ゴールドマン神父が東京教区に赴任。 神父は、板橋カトリック教会の主任司祭を長年務めたのち、1979年に橋本周子氏を所長、自身を理事長とする「聖グレゴリオの家宗教音楽研究所を設立しました。

この度はそこを訪問しました。 約 100 人がここでオルガンなど様々な音楽のレッスンを受けています。 人口1億2500万人の中では、約50万人のカトリック教徒は少数派です。

研究所の入口でハビエル・アパリシオ・スアレス神父が出迎えてくれました。 スペイン出身の彼は、聖オッティリエン大修道院の宣教検察官を務めていて、年間約 9 か月間、ミッション ベネディクト会の修道院がある世界中の国々を旅します。 また聖グレゴリオの家にベネディクト会のオブラーテのグループがあるため、彼は定期的に東京を訪問。オブラーテグループは成長を続けています。

ゲレオン神父は、健康上の理由で1994年に日本からフルダの修道院に帰りました。その後ヴェロニカ橋本周子氏が運営責任者となり、第二バチカン公会議以降、日本ではほとんど演奏されなくなった教会音楽の復興に務めました。ここで学ぶ人は、宗教の所属を問いません。 彼女は多くのボランティアにサポートされています。 ここでは、教会音楽科の他に、オルガンセミナー、オペレッタ教室、チェンバロクラス、アンサンブルクラス、ピアノゼミナール等を開催しています。

教会音楽科の生徒たちは授業のために聖グレゴリオの家に来ますが、遠方から来る徒は宿泊滞在できます。 教会音楽科は3年間続きます。 希望すれば、さらに 3 年間研究科で勉強することができます。 レッスンは日本語で行われ、 この学校では誰でも学ぶことができます。 「宗教は問いません。皆それぞれに求道の心を持っているからです」と橋本周子氏は言います。 「学校に入学が認められる前に、バッハのインベンションを弾き、『神の賛美』から歌います。 週に1日フルタイムでレッスンを受ける生徒の多くは、すでに教会コミュニティで活動している人です。

ピアノ、チェンバロ、アンサンブルのレッスンは個人レッスンのみで、誰でも受けられます。 冒頭で掲載した写真は 防音室でオルガンの練習をするOさん。 67歳の彼女はコンサートのピアニストであり、合唱団の指揮者でもあります。 彼女の長年の願いは、オルガンの演奏も習うことでした。 彼女は数年間ここでオルガン講師の大木麻理氏からレッスンを受けています。 同氏は、リューベクで音楽を学び、ドイツ語で話します。「わたしはここ聖グレゴリオの家で12人の生徒にオルガンの奏法を教えています。訓練は3~4年続きます」。

オブラーテは増加中

また偶然にも、レーゲンスブルク教会音楽・教育音楽大学学長ステファン・バイアー教授も「教会音楽B」資格試験審査員として聖グレゴリオの家でお会いできました。バイアー教授は次のように語りました。「2005年、当時のザンクト・オッティリエンのイェレミアス・ジュレーダー大修道院長がオッティリエンからレーゲンスブルク教会音楽・教育音楽大学にやってきて、聖グレゴリオの家のことを語り、ドイツの大学との提携によって聖グレゴリオの家の過程を修了した者に、その大学の資格を与えたい」と要請したのです。それを受け入れ、以後、レーゲンスブルク教会音楽・教育音楽大学は、東京で試験を行い、合格者に証明書を出しています。しかし財政的援助はしていません。

ハビエル神父の主なる任務は、聖グレゴリオの家のオブラーテの指導です。オブラーテとは、日々聖ベネディクトの戒律に従って生きる人です。ハビエル神父は次のように語りました。「2000年からザンクト・オッティリエンの同胞が聖グレゴリオの家のオブラーテと関わってきました。クラウディウス神父(注:2024年1月8日に逝去されました)が長年その役を担い、その後何人かの同胞が続きました。今、わたしがその役を担当しております。理事長は、2016年まで、エルツアプトであったシュレーダー大修道院長やクラウディウス神父が務めました。

オブラーテは、今37名おり増え続けています。今年1月の訪問時には、6名の方を迎え入れました。彼らはとても活動的で、毎週末この家で集い一緒に祈っています。

【Dr. Petra Altmann ペトラ・アルトマン博士(作家・ジャーナリスト)】


※なお、この取材を受けたのが2023年6月初旬でした。その後状況が変化しておりますが、取材当時のまま記載しています。