【報告】ドイツよりお客様来訪(4/16, 5/19)

聖グレゴリオの家はご承知のようにドイツと関わりが長く深い。時として、お客さまが訪ねて来られる。

5月19日、ドイツから一組の親子が、東京滞在の一日で聖グレゴリオの家を訪ねてこられた。聴くところによれば4人家族だが、飛行機に長時間乗ることが不得手で男同士での旅となったそうだ。

 

 

 

 

 

 

来訪した親子の父・祖父の名前はエルヴィン・ヘレッチErvin Herretschさんという方である。

かつてドイツが東西に分かれていた時代、この家の創始者であるゲレオン・ゴルドマン神父を敬愛しており、息子にゲレオンと名付けた(孫の名はジオンである)。その縁で橋本周子先生とも親しくされていた。ドレスデン近くにあるザクセン州シルギスヴァルデという小さな街に暮らしていた。

私は1994年、橋本周子先生の引率で、当時所属していた合唱団の旅行先としてこの街を訪れる機会があった。そして、当地の教会聖歌隊のメンバー宅に分宿したことがあった。その日は、ドレスデンを流れるエルベ川近くに建てられ、歴史と風格のある宮廷教会(Hofkirche)での晩課のなかで、合唱団が歌う機会をアレンジしてくださっていた。ヘレッチさん(「へレッチおじさん」と呼んでいた)は、始まる前に教会を訪れた人に「東京からとても有名な合唱団が来ているのでぜひ聴いてほしい」と声を掛けていたのが強く印象に残っている。さらにこの教会に設置されている有名なジルバーマンをメンバーのオルガン奏者が演奏する許可を特別に取り付けてくれたりもしたのだった。

さかのぼることその4年前の1990年、10月3日のドイツ統一という歴史的出来事を目前にした東西分断最後の5月1日、同じ合唱団で東ドイツ時代のライプツィヒを訪れる機会があった。メーデーで休みだった聖トーマス教会に裏口から入れてもらったのも彼のおかげである。その日の晩課は、カトリック・プロプスタイ教会で歌った。多くの人が集まり熱気に包まれていた。そしてその夜は分宿することになり、夜遅くまで語りあった。幸いにもその後、その家族を何度か訪れる機会があったほか、30年経った今も電子メールでつながっている。

今回の来訪では、合唱団でドイツを訪れるたびにそのような機会をアレンジをして作ってくださったことをへレッチさん親子に御礼を述べるとても貴重な機会となった。

そしてもう一人。

ドイツ・ミュンヘン近郊にあり、信仰的にもオブラーテ共同体を通じて聖グレゴリオの家と繋がっているザンクト・オッティリエン修道院で、1月8日に逝去されたクラウディウス・バルス OSB神父の甥であるジオンさんが4月16日昼、突然訪ねてきた。

まだまだ春の肌寒さが残る気候の中だったが、短パンを履いていた青年だった。

ジオンさん(右)と筆者

橋本先生が亡くなったことを家族から知り、IT関連のビジネスで出張のために来日し、用事を済ませた後、プライベートの旅行で東京を訪問する合間を縫って、電車でグレゴリオの家まで足を伸ばしてくれた。そして、小聖堂に安置された橋本先生の遺骨に挨拶してくださったのだった。

創立から45年を迎えた聖グレゴリオの家の歴史の重さ、深さを感じるひと時となった。(HH)