【追記】故ゲレオン神父様追悼ミサを執り行いました<映像付>(7/23)

聖グレゴリオの家の創設者で、創立以来理事長を務めてこられたゲレオン・ゴルドマン神父が帰天してから今年で節目の20年を迎えました。ゲレオン神父をしのぶ追悼ミサが、マルシリオ神父の司式により7月23日に執り行われました。

文末にゲレオン神父への回想手記を橋本周子所長が寄せています。

暑い一日でしたが、この日はゲレオン神父を知る方が数多く参列してくださいました。聖堂でのミサを終えると、カトリック聖歌集を歌いながら、長年司祭室だった部屋の裏に設けられている写真とプレートが飾られている場所まで行列しました。そして、プレートの前で”Salve Regina”を歌いました。

当日の映像をご覧いただけます。

ゲレオン神父は1994年1月25日ドイツ・フルダに帰国後、2003年7月26日にドイツで帰天されました。


回想 ゲレオン神父に寄せて

橋本周子

ゲレオン神父は特別に神から愛された方と思っています。

板橋教会にいるときは彼とはある程度離れていたので、余り気になりませんでしたが、聖グレゴリオの家宗教音楽研究所を始めたときから、しばし意見があわず私の方が「もう充分です」という思いも重なってここをやめようかと思うこともしばしありました。しかし毎朝6:30のミサに出ていると、ミサを捧げる彼が全く違った人になってしまうので、どんなに腹を立てていても「まあ、いいか」と思う様になって仕舞うのが常でした。

むしろ神様が一本の指先で、お好きに遊んでおられたようにさえ思えました。教皇ピオ12世から神学校なしに司祭の許可を頂いたこと、モロッコの捕虜所で後の教皇ヨハネ23世と争って収容所の改善を行ったこと。8歳の坊やが.休暇で帰ってきた富良野の神父に僕も日本に連れって行ってと泣いたこと。それを聞いてシスターが祈りの仲間を集めたこと。

彼は子供のころ悪魔の子と云われていたようです。確実に神から愛されていいたことも確かです。日本に行きたいということの動機は「日本の女性が優しく控え眼であること」に憧れを持ったようです。

板橋教会で問題を起こした人に騙された人たちが「それでも、私は彼を愛しています」というコメントを出したのに、ゲレオン神父は「教会に来なくてもいい、もう見たくない」と云っていました。それは信徒たちに問題となりました。しかし彼を暴力団から救い出したのも最後まで面倒を見たのもゲレオン神父でした。

どうやって暴力団から救いだしたのか聞いてみたことがありました「ポケットにロザリオを持っていただけです」という返事でした。この家を作る時フルダの時の管区長が「この5日間で5千万円集めたら神のみ旨と思いましょう」といわれた事について、彼は本気で5千万円集めました、管区長は冗談で話したに過ぎなかったといっていました。ゲレオン神父は全て真剣に対応していました。彼のミサが有難いミサであったことは確かです。彼は疑うことなく、神に忠実でありました。(2023年8月7日記)